今回は環境情報学部のサブテキストの文学部12を読みました。
インタビュー記事なので長いですが文章は難なく読み進めることができます。
私が大事だと思ったところをまとめるとこの2点です。
●日本語が「国語」になることが出来たのは、奇跡のようなことだった。
日本語という「国語」は翻訳と言う行為を通じて生まれた。
この「国語」によって、古典(近代文学)を読む教育ができること、
そもそも教育するにあたる古典が存在していること自体、とても幸せなことである。
●最も危惧しているのは「娯楽以上の日本語(=国語としての日本語)」が生き残れるかどうか。
日本語は、英語が支配的な言語になったことと無関係なところで貧しくなってしまった。
その原因は、骨のある密度の高い近代文学を読ませなくなったことだと筆者は結論づけている。
近代文学を読めないことで、良質な本が読み継がれなくなり、
それにより文化の継承が行われなくなってしまうこと、
知的にも感性的にも貧しくなってしまうことを危惧している。
この話は私にとっても、とても耳に痛い話です。
私は教育学部国語国文学科の出身なので、まさにこの文章を執筆した筆者のようなことを考えなければならない立場でした。
でも大学生当時の私の近代文学を読んだ印象は…「つらい」。
谷崎潤一郎や室生犀星は読めたけど、田山花袋とかつらかったなぁ。
なんというか、心の中の葛藤がとても多くて。
芽生えている「自己」をどう扱っていくのかを描写しているものが多い印象です。
でも、確かにあのよみづらい文章を読んだことは、今の私にはなんとなく生きているように思います。
読みにくい文章に耐える経験。自分の経験には置き換えにくい世界を言葉から予想する練習には格好の教材だなぁと。
もう一度近代文学を読み直す必要があると思いました。(いまなら…よめるかなぁ)
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