2014年5月15日木曜日

2011年東大後期「公共空間とは何か」

最近研修として、塾内で毎週土曜日に実施されている小論文講座に参加しています。
せっかく取り組むわけだし、備忘録として読んだ文章をこのブログに書きとめていこうと思います。

4月26日小論文の課題は、慶應法学部。
そのサブテキストとしてあげられていた東大後期2011年の課題文を読んでみました。
内容は大体こんなかんじ。

<公共空間>とは、一般的には美術館や映画館を指し、<私的空間>とは、個室やお茶の間を指すと理解されるが、現代における<公共空間>とはなにか?そもそも存在するのか?

この文章での結論は、現代における<公共空間>は存在しない、である。筆者は<公共空間>の理想を古代ギリシア時代においているが、この理想の<公共空間>は、近代以降<社会的なものの台頭>と「家」への関心の高まりの中で衰退していくようだ。

現代人が属しているのは、<公的空間>でも<私的空間>でもない第三の空間である。自分の発言に責任を負わずに済むこの空間にいることを本当に許していいのか、ということをアレントは問題にしている。

私的には、慶應法学部の文章の方がよみやすいかなぁ。理由は、具体例がたくさんあるから。この東大の文章は言葉の定義が多くて、筆者と読み手とで解釈に齟齬がありそうで怖い。慶應の文章を読んでからだからこそ、「ああ、こういうことかな」って思ったけど。

あと少し不親切だなぁと思ったのは、本文で2回も書いてある「近代以降<社会的なものの台頭>と「家」への関心の高まりの中で<公共空間>が衰退していく」という言及について、なぜ近代以降<社会的なものの台頭>と「家」への関心の高まりがあったのか、そしてそれが公共空間の衰退とどう関係があるのかについて、抜粋文の中に説明がないことかな。

筆者がこんなにアレントを引用しているなら、その説明はあるべきだと思ったんだけど・・・これは私が現代文を教えているから感じることなんだね。


これを考えるのが小論文を使って受験する受験生のお仕事みたいです。

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