2014年5月25日日曜日

小論文環境情報学部サブテキスト2―東大09

これも前回の記事同様、環境情報のサブテキストです。
抽象的な話をしていますが、使っていることばが平易なものが多く、理解はしやすい文章ではないかと思います。

●言語がないと直接的な体の表現をするしかないため、言語は生活世界を拡大しているといえる
言語があることで私たちは、自分が経験している世界だけでなく、誰かが経験している世界、
誰も経験していなくてもありえる世界、かつてあった世界、未来にある世界を疑似体験できる。

●しかし、言語は私たちの見方を拘束する役割もする
日本には魚が豊富だから、魚の名前がたくさんある。
アジ・サバ・マグロ…と同じような魚に名前をつけることでそれぞれの魚を区別している。
一つ一つに名前がなければ、違う魚を違うものとは認識できず、区別ができない。
あるいは、日本語では羊には区別がない。
外国で細かく区別していたとしても、私たちにはそれは羊にしか見えない。

●現在の社会は言語による間接経験(情報経験)が直接経験よりも多い社会である
情報経験は直接経験よりも不確かで実感が伴わないものであるから、
直接経験と間接経験を行き来するような感覚を深めることが必要である。

言語の話から最終的には、現在の世界を経験するあり方について考えさせる課題文と出題でした。

私はやっぱり、直接経験に勝るものはないと思う。「言う」と「やる」って全然違いすぎて…。
言葉で「いう」のは本当に簡単だけど、実際に「やる」のは本当に大変。

だけど、言葉の間接経験も本当に大事だよね。
いまここにないものを、あるように感じられる想像力。
想像できないものは実際にやることはできないから。

だからこの2つの経験を行き来するような経験が必要だっていう筆者の主張はよくわかる。

スポーツしている時とか、楽器を演奏している時に、私はこれを強烈に意識するような気がするな。

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