ちょこっと要約
「政治的空間としての<公共空間>」とは、一言でいえば「自分の発言に責任と覚悟をもたなければならない空間」である。
「政治的空間としての<公共空間>」は、古代には存在していたが、現代には存在していない。現代人が属しているのは、公共空間でも私的空間でもなく、「社会という保護された空間」だ。
古代人は、「政治的空間としての<公共空間>」に属し、その中で他人が嫌がらないことを進んでしていた。なぜなら、そうして他者ではなく自分だけができることを進んですることで、自分の個性を発揮できたからである。
この文章、「政治的空間としての<公共空間>」っていう言葉の定義をしてないからちょっとわかりにくかったなぁ。
けど、ちょっと我慢して読み進めると、ぼんやりわかってくる。
問題文の具体例に出てきた死刑の話、つまり、現代人が保護された空間にいて、その空間からやんややんやと文句を言う図は、日常的にもよくある話だと思った。
クラスで文化祭実行委員が決めたことに後から文句言うとか、私の高校時代にはよくあったなぁ。
クラスの中のまじめな子がお化け屋敷の案を出してくれて、でも、その案に対して文句だけいう人が必ずいるんだよね。
内装が面倒だとか、お化けの役はやりたくないとか。
反論を言う子が、代替案を出してくれるならいいけど、そういう訳でもない。
その子は自分の発言に責任を持つ公共空間の外、つまり保護された空間から発言してるんだよね。
本当はお化け屋敷が嫌なら、別の案を出す。自分のアイデアがないなら、黙って従うしかないよね。
そうじゃないと、自分の発言に責任と覚悟を持つことにならない。
文句をいうだけなら誰でも出来るもんね。実際にやることの方がいうことよりも数百倍たいへん。
文章中には書いてなくて授業中に議論になってたけど、いまはここにインターネット、特にツイッターが入ってきてるからもう少し状況が複雑になってる感じがするね。
ツイッターは公共空間っていえるのかな。
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