ロゴスIES大藤です、辻先生おじゃまします。
今週の慶應小論文クラスの課題は2010年総合政策の介護労働。
サブテキストは今年2014年慶應法学部の小論(論述)。
色んな学部の小論文や早稲田、東大、センターなどの現代文のネタがとっても役立ちます。そんなわけで今週のサブテキストは慶應法。
市民は自己中心的な生活や私的利益の追求という個別性を超越し、、
というのが市民の特性らしい。わがまま言わないで共通善をみんなで探ろうっていうことね。
で、面白いのがその対極がなんと家族だと。
家族とは個別具体的ニーズが満たされるべき場所であり、(中略)公的領域が想定する徳や態度とは全く異なる論理がそこで働いているとされる
確かに。家族にはわがままに接してる。(でも塾でも個別具体的ニーズを満たしたり満たされたりしている気がするが、、、(笑)しかも個別ニーズ=わがままという図式になってしまっている(苦笑)
そして女性が家事や教育、介護をしているのは
自由意志で行為を選択し、つねに自らが要求するニーズを「自分のもの」と確信できるような主体を前提にしているかぎり、(かなり略)自由に選択した結果のようにみえるのである。
確かに近代の価値観は自由意志の尊重。みんな自分の好きなように生きながら、まあ共通善を探そうぜって感じ。だから家族のことをやることも本当は自由意思じゃないかもしれないけど、
道徳的問いかけは非常に重くその場を離れることができない。そりゃそうだ、赤ちゃんとかじっちゃんばっちゃんおいて旅に出れない。
この感じ。介護労働と似てます。教育とも似ています。
最近ありましたね、入学式をおやすみした先生の報道。賛否両論。
市民としての自由意思を尊重するのか、道徳的問いかけを行うのか。
私個人的には自由とか意思とか道徳とかうさんくさい。義理人情くらいに程よく適当なものをそれぞれの人が大切にできたらいいのかと。うーん違うかな。どうかなー。
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